基礎はその先の創造のために

書道には漢字だけではなく「詩文書」(会によっては仮名交じり文とも言いう)という分野があります。

俳句、短歌、詩、歌詞など漢字だけで構成された文章ではないもの。というとらえ方で良いかと思います。

漢字作品を書く時もですが、詩文書を書く時に文字は左右対称に書かない、同じ文字がある場合は全て変える。
と画面に奥行と動きが出てきます。

その形の変化に線質=太い、細い・にじみ、かすれなどを1本づつ変化させていく。

紙のどこに配置するか、行を並べて書くか、大きな象徴的なものを書いて小さく全文書くか?など構成も様々にあります。

全部を掛け算していき、より複雑な表現ができるようになっていくと文字の中の白や周りの白の動き、流れ、広がりなど絵のように読むというより、「観る・感じる書」の作品が書けるようになります。

写真の作品は北園克衛氏の詩の部分から
北園克衛氏は詩人であり、写真家・デザイナーでもあった人。

読む詩というより、見る詩といった方が良い本の画面に余白を活かした文字の配置、視覚的に印象深い文字を選び構成したのではないだろうかと思う一見意味をなさないような詩。

とはいえ読んでいると心象に揺さぶりかけるような詩でもありとても尊敬する人です。
できれば同じ時代でもっとさまざまな仕事を見てみたかったと思います。

 

同じ文字が繰り返し出てくるのは先に書いたとおりだと非常に難しい内容ですが、本の紙面で視覚的に構成するために選ばれた文字を変化させつつも書を見る場合にありがちな読ませることより見せる作業にどう落とし込むか?

尊敬する北園氏の視覚詩・ヴィジュアル・ポエトリー。意図を壊さずに表現できたかどうかはわかりませんがチャレンジであり、実験することが楽しい制作時間でした。

 

墨の種類の変化も表現の違いを出すために取り入れていくことでまた手札が増えます。

 

自分で書いていて、生徒さんを見ていて人は無意識に文字を驚くほど同じような配置で同じように文字を書きます。大きな紙に書いていてさえです。

展覧会出品用に書いている時に、ここをこう変化させたい。と思っても気を付けないと良く同じ位置に同じ形でかけたものだ!コピー機になれるのじゃないか?と思わざるおえないぐらい無意識だと同じになってしまいます。

変化させる。にはやはり古典で昔の人の書いたものを臨書(真似して書くこと)をしていきながら、それぞれの文字の形や筆使いのクセを覚えて引き出しに入れていく。ということが表現の幅が広がります。

美大でデッサンや基本的な配色のことを学んだので社会に出て商品のデザインに活かすことが出来たし、デザインしながら様々なモノづくりの会社の方達からより深い基礎を学んだからより新しい商品のデザイン・企画が出来たと思っています。
いつも同じようなデザインでは売れないですしね。

そういう経験値があるからこそ基礎訓練は大事であり基礎訓練で終わるものでは無く

基礎はその先の創造のためにある。と考えています。